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道元禅師の言葉を読む (1)

 堂頭のブログは、檀信徒や参禅会、お寺で仏教の教えに触れたいという信心厚い方々への行事予定連絡用として、毎月の行事予定を載せています。

 でも、時間のある時に、ちょっと俯瞰してみましたら何か寂しい。コメントなどが少ないのもそうですが、毎月の行事予定が載るだけですから、そりゃ寂しいに決まっています。

摩訶迦葉尊者(『仏祖源流影讃』写本より)
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 という訳で、たまにはまともな記事みたいな物を書いてみよう、と思っていました。

 少し以前に神奈川県のお寺さんの会報に載せていただいた原稿があります。細かな部分は端折ったので、その部分を説明していただけたら有難い、という意見があったので丁度良い、原稿のその部分をここで再説してみようかと思います。

 その原稿は、以前に堂頭が上梓した本(非売品)についてのものでした。

 全体はテクストの選定についての私論や、その本の正誤表を含めたものですが、ここではその中から「道元禅師の言葉の読み方について」の項だけを取り扱いたいと思います。

 現在道元禅師関係の出版物が山のように出ているのですが、私でも存じ上げている研究者の方や専門家のものの論述はほとんど採用されることがなく、一体どういう人なんだろうと思われる方のものもあります。内容を理解してないらしく意味をなしていない和訳が並べられている物もあります。

 では一体どう読まれた方がよいのか。

 例えば、古いお祖師さま方の提唱も残っており、今日、書肆の店頭に並んでいる出版物にも載っているものとして、『永平広録』巻八・小参の「文殊三処過夏」の話を取り上げました。

 上堂や小参についての説明は省くとして。まずは本文。

 解夏小参云。九旬無為、一衆安穏。雖為仏祖之護持、宛是大衆之慶幸也。永平今夜依例小参。言小参者、家訓也。家訓雖多、是挙一二。謂、先代仏祖、皆是道心士也。若無道心、万行虚設也。然則参学雲水、先須発菩提心也。発菩提心者、乃度衆生心也。先須有道心。次須具慕古。後須求実。此是三種、即初心晩学之所学也。永平家訓、只是如斯。記得。世尊昔因自恣日、文殊三処過夏。迦葉欲擯出文殊、纔近椎、乃見百千万億文殊。迦葉尽其神力、椎不能挙。世尊遂問迦葉、汝擯那箇文殊。迦葉無対。大衆、要参究這一段因縁麼。先直須深信、安居過夏、仏祖家裏一大事因縁也。不可容易矣。且道、迦葉当初擯了文殊、未擯文殊。若道擯了文殊、尽其神力椎不能挙、又作麼生。若道未擯文殊、尽令而行、不可労而無功也。大衆須知、迦葉若欲擯声聞縁覚初心晩学、及十聖三賢等、迦葉必定挙椎也。今欲擯百千万億文殊、迦葉用不能挙之椎也。為甚如斯。不見道、千鈞之弩不為鼷鼠而発、万斛之船豈於牛轍而行也。雖然如是、不渉這箇辺事、還有向上道処麼。良久云、太平王業治無像。野老家風似至淳。祗管村歌及社飲。争知舜徳及尭仁。大衆久立、伏惟珍重。

【読み下し文】 解夏(かいげ)の小参に云く、九旬無為、一衆安穏。仏祖の護持たりといえども、あたかも是れ大衆の慶幸なり。永平、今夜、例に依って小参す。小参と言うは家訓なり。家訓多しといえども、これ一二を挙す。謂く、先代の仏祖は、みな是れ道心の士なり。もし道心無ければ万行虚設なり。然れば則ち参学の雲水、先ず須く菩提心を発すべし。発菩提心というは乃ち度衆生心なり。先ず須く道心有るべし、次に須く慕古を具すべし、後に須く実を求むべし。これこの三種、即ち初心晩学の所学なり。永平が家訓、ただ是れかくの如し。
 記得たり、世尊、昔、因に自恣の日、文殊、三処に過夏す。迦葉、文殊を擯出せんと欲し、纔かに椎に近けば、乃ち百千万億の文殊を見る。迦葉、その神力を尽くせども、椎、挙すること能わず。世尊、遂に迦葉に問う、汝、那箇の文殊をか擯せん。迦葉、無対。
 大衆、這の一段の因縁を参究せんと要すや。先ず直に須く深く信ずべし、安居過夏は仏祖家裡の一大事因縁なることを。容易にすべからず。且く道え、迦葉、当初、文殊を擯了すや、いまだ文殊を擯せざるや。もし文殊を擯了すと道わば、その神力を尽くせども、椎、挙すること能わず、また作麼生。もしいまだ文殊を擯せずと道わば、令を尽くして行ず、労して功無かるべからず。大衆、須く知るべし、迦葉、もし声聞・縁覚・初心・晩学、及び十聖・三賢等を擯せんと欲わば、迦葉、必定して椎を挙せん。今、百千万億の文殊を擯せんと欲わば、迦葉、挙すること能わざる椎を用いん。甚と為てかかくの如くなる。道うこと見ずや、千鈞の弩は鼷鼠の為に発せず、万斛の船、豈に牛轍に於いて行かんや。然もかくの如くといえども、這箇辺の事に渉らず、還って向上の道処有るや。良久して曰く、太平の王業、治に象無し。野老の家風、至淳なるに似たり。祗管に村歌、并びに社飲。争か知らん、舜徳、及び尭仁。大衆久立、伏して惟れば珍重。
 この中の「記得たり」以下、迦葉尊者の「無対」までが、引用された公案です。

 この公案は、ほかに『正法眼蔵』「安居」巻にも圜悟克勤禅師(えんごこくごん 1063|1135)の拈古・頌古とともに載せられています。その大本は『大方広宝篋経』の中のお話です。これについても後で少し触れたいと思います。

 さて『正法眼蔵』で道元禅師が引用するこの公案は、『圜悟録』巻十九のものにほぼ準じた物となっています。一方では『永平広録』では門鶴本(古くは長護本と呼ばれ、最近は祖山本との名称を使用する方もいらっしゃります。私は写本名を寺院名をもって冠するならば、はっきりと永平寺本とした方がよいと思っています。)も江戸時代に唯一木版で板行された卍山本(流布本)も、ともに宏智正覚禅師(わんししょうがく 1091|1157)『宏智録』巻二・拈古一が一字違いの同文です。したがって『永平広録』中のこの文は、出典が『宏智録』ということになるだろうと思います。

 こうした出典研究は、お亡くなりになられた鏡島元隆先生が、師の衛藤即応先生から叱咤(激励ではなく)されながら進められたという、有名なエピソードがあります。そして先生は、道元禅師思想研究には思想・歴史・書誌学の3つの側面から研究されなければならないと唱えられ、思想解明に不可分のものと成果を上げられた分野でした。

 道元禅師の引用された文献、という出典研究はひとえに鏡島先生の恩恵を被るところが大きく、そのことに触れられていない出版物も多いのは致し方ありませんが、1つの書籍内で、他の個所では出典を明記していても、この部分では明記されていないというものもあり、どうもこうした論文や原典を見ないで執筆している姿勢が見えてきて、気になってしまうのです。

 問題となるのは、この解釈です。
 文殊菩薩の大人の境界を迦葉尊者が仏制をもってしてもとが咎めることができなかった、と理解しているものがいくつかあります。その理解は正しいのでしょうか。

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