7 月の行事予定 2009

 7 月の行事予定です。
 広くご法友をお誘い合わせの上ご参加下さい。

今月の行事
参禅会7 月 7 日(火)午後7:00~9:00『従容録』講義
※ 第 1 週の水曜日に変更になっています
お袈裟を縫う会7 月 23 日(木)午後2:00~5:00「律蔵:衣ケン度」講義

檀信徒行事
盂蘭盆会7 月 13 ~15 日
新盆供養会7 月 17 日(金)午後1:30
午後2:00
お説教
法 要

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道元禅師の言葉を読む (6)

さて、最後に結句の部分です。

太平の王業、治に象無し。野老の家風、至淳なるに似たり。祗管に村歌、并びに社飲。争か知らん、舜徳、及び尭仁
は、『宏智録』にある宏智(わんし)禅師の句をほぼそのままに踏襲したものです。

 中国伝説の皇帝、舜(しゅん)と尭(ぎょう)の時代は、法令がまだ成文化されていない時代にもかかわらず礼節がそなわり、法は自然と守られていた、村民は平和を謳歌しながら統べる統治者の名前さえ知らない、という理想をうたう故事にもとずきます。そして道元禅師は、この句を本来の安居の状態になぞらえています。

 これを「文殊の境界を歌ったもの」としている出版物がありますが、果たしてそうでしょうか。

「太平」…… 共同体が理想的な状態にあること
「王業」…… 統治
「村歌社飲」…… それぞれの立場で鎮守(ブッダ)に御神酒を捧げ舞いを舞う複数の人々(ブッダを敬仰する比丘・比丘尼)

 これらの点を見落としています。

 このような視点で見れば、迦葉尊者・文殊菩薩の2者やサンガの成員たちが、律制化以前の仏家の家風のあり方に立ちかえって安居と破夏の是非を問うている、と踏み込んで理解することも可能かと思います。

 振り返ってみればこの小参は解夏(かいげ)のものです。
 解夏とは、触れませんでしたが雨期の3ヶ月の安居が解かれることです。律蔵が定めた3ヶ月の修行期間の終わりを意味します。
 
 道元禅師は会下の安居衆に安居がおわるにあたって自恣羯磨(じしこんま)や擯出羯磨(ひんずい・ひんしゅつこんま)などの懲戒羯磨を行わず 、この話をもって注意を喚起したと思われるます。とすれば、ブッダや迦葉尊者の立場を禅師ご自身にかけており、迦葉尊者にならって道元禅師は「不能挙の椎」を振るっていることになります。
 
 この小参の挙則を迦葉尊者が文殊菩薩に及ばなかったと理解すれば、道元禅師をも律制の真義を知らない小見の徒としてしまい、「労して功無き」教えを説く人物に貶めてしまいます。そうではなく、この小参において禅師会下の参学衆は不能挙の椎に打たれ、寒毛卓竪(かんもうたくじゅ)して頭燃(ずねん)を救うがごとく弁道にいそしんだのでしょう、その情景が目に浮かびます。これを文殊菩薩を讃えた小参と読んでしまっては、道元禅師の意図とは真逆になることが分かります。
 
 出典こそ違え、同じ公案を引用している『正法眼蔵』安居の巻巻末では、文殊菩薩が律制にとらわれることなく安居の意味を問い直した、ととれる道元禅師の解釈が示され結ばれています。(実際はおそらく道元禅師も文面どおりの意味には捉えていなかったでしょうけれど。お弟子様の注釈書がそのことを暗示しています) この前提があるため、若干の人々は最初から否定的摩訶迦葉像で見てしまっているのでしょう。しかしそこでは迦葉尊者については一言も触れず、文殊菩薩の安居にしか触れていません。迦葉尊者を含めた「文殊三処過夏」の公案観は、この小参にのみ披露されるている事柄であることは、注意しておいた方がよさそうです。
 
 道元禅師の公案の拈提は、このように出典を踏まえながら出典とは異なる見解を導き出してしまうところに特色の一つがあります。仏教が部派(小乗)仏教・大乗・真言乗(密教)という歴史的変遷をへた時代に道元禅師が生まれ、それらの対待を止揚して次の段階の仏法を提撕するところに道元禅師の思想的・歴史的レゾンデートルがあるといえます。このことを禅師は「正伝の仏法」と語り、自身をその伝侍者とすることよりすれば、みずから歴史的な立場を自覚していたといえます。
 
 その相剋に禅師は、禅宗祖師たちの教えに出会い、少なくとも歴史的経過からすればここに活路を見いだしています。経典という絶対的権威から別の立場を導出するために、インド仏教では新たなる経典の作成、歴史の塗りかえという作業を行ってきました。それと同じ手法をとれない中国の祖師たちは、古則として切り出し、更に拈提し直すことによって表現してきました。道元禅師はその手法を踏襲しながら、旧来の経典そのものに新しい生命を吹き込むことさえ行う場合があり、ここもその例に漏れることはないでしょう。
 
 つまりこの小参を逆の意味に捉えてしまっては、道元禅師の置かれた立場、課題としている点も見えていないことになります。

 さて、最初の課題の答えがすでに出ているようです。
 摩訶迦葉尊者は、見事に文殊菩薩を咎めたと言えそうです。

めでたし、めでたし
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道元禅師の言葉を読む (5)

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京都:臨済宗建仁寺様の羯磨(布薩)の支度。
右手に椅子が、左手に椎が置かれている。
椎は、上に袱紗(ふくさ)がかけられ、本体も荘厳されている。1回撃つたびに袱紗を取ったりかけたりする。現在の曹洞宗の道場より、『建撕記図絵』のイメージに近い。
甚と為て(なんとして)か、かくの如くなる。道(い)うこと見ずや。

【和訳】 なぜこのようになるのだろうか、私のいうことが分かるだろうか。
と換言されて道元禅師の説明は続きます。
千鈞の弩は鼷鼠(けいそ)の為に発せず、万斛(ばんこく)の船、豈に牛轍に於いて行かんや。
 「弩」(ど)はボーガン式の大きな弓、「鼠」は射られる対象です。この場合の「弩」は「迦葉尊者の椎」を喩えており、これに擯斥されるサンガの修行者たちが「鼠」であることはいうまでもありません。それが「千鈞の弩」、「鈞」の正確な重さは分かりませんが、一説に1.8キロほどとするので、これに従えば1.8トンになります。

 話が横にそれますが、「弩」というと、少し漢文学に携わったことがある方は、諸葛孔明が船上から艦砲射撃を行うための「連弩」を発明したという伝説を思い起こすことでしょう。火薬使用以前に、何らかの輸送具や台に設置した大砲のようなものがイメージできます。今、迦葉尊者の「不能挙の椎」がいまだかつて見たこともない手腕であるので、千鈞の弩弓に喩えているのです。そしてこの言葉自体、前半の典拠は、実は『三国志』になります。

 道元禅師は直接『三国志』から引かれたわけではありません、『景徳伝灯録』や『碧巌録』にも使用され人口に膾炙した言葉です。

三国志演義 (岩波新書)
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井波 律子
非常に面白かった。

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 中国は明代になると『三国志演義』が編まれます。私たちにお馴染みの話はこの本で、複合的なモチーフの扱いによって、史実に一層輪をかけて、読み物として出色の出来になっています。『演義』は、宋代に流行した「平話」に代表される語り物、それは様々な作品が作られたそうですが、これを取り入れることによって、魅力を倍増させているといわれています。時代的に道元禅師は見ることはないのですが、この語り物を宋の国の街頭で耳にされている可能性はあります。道元禅師はこうした世俗の娯楽に、どのような感想を抱かれたのでしょうか、興味あるところです。

 さて、意味ですが、巨砲は大きな対象を粉砕するにはいいが、小さな鼠をねらっても正確に当たるわけはないのでハツカネズミ(鼷鼠。声聞・縁覚・初心晩学等を指す)の前では発しようがありません。ということは大きな相手である文殊だから持ち出したのだ、の寓意があり、同時にハツカネズミ程度では理解できないことを含意しています。
 
 同じように「万斛の船は牛轍には収まりきらず、そこを進めない」の表現は、今の古則では、文殊菩薩の力量は律蔵の軌則主義の枠組みには収まりきらない、の意味ともいえますし、迦葉の手法は律蔵の中にも収まりきらない、の意味にもとれます。道元禅師の拈提や結句からしますと、2人の作家のやりとり自体と見ることもできます。
 
 ただ、この「千鈞の弩」を迦葉尊者の椎ではなく、文殊菩薩の境界であるとする解釈があります。
 この場合、鼷鼠は迦葉尊者の椎で、文殊菩薩の前に歯が立たないことをいっっていることになります。そうしますと弩を 《発する》 ということとの対応が取れませんし、また「千鈞の弩は鼷鼠の為に~」が文殊の境界、次の句の「万斛の船は~」も文殊の境界と、2つの句が同じ指示対象を持ち、ダブってしまって綺麗ではありません。(「万斛の船は~」が、迦葉尊者の手腕、とすればこの問題は解消される。ただし次段で説明するように問題がある)
 
 《》 は目的語を示す前置詞で、鼷鼠が「弩発」の対象であることを示していますので、これは椎を 《撃つ》 こととその対象、という対応で捉えた方がよろしいでしょう。そうすれば、「千鈞の弩は鼷鼠の為に~」は迦葉尊者の機転の冴え、次の句「万斛の船は~」が文殊菩薩の境界で、対句が構成され、漢文らしいバランスが取れた表現となります。圜悟禅師や宏智禅師の拈古・頌古には、必ず両者の境界が同等と唱う対句を持っていましたので、道元禅師もここでその表現を踏襲していると見なすことが可能です。 
 
 要は「千鈞の弩」(迦葉尊者の椎)やその対象が何を意味しているのか理解できなければ、せっかく前段で道元禅師自身による解答が与えられているのに対し、混乱するばかりになってしまいます。 

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道元禅師の言葉を読む (4)

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これは「布薩」(ふさつ、=説戒)という作法で、懲戒羯磨ではありませんが、中央やや左位置にあるのが(犍)椎です。この公案の中で摩訶迦葉が撃っていたものです。だいたいこのような感じで行われたものと考えられます。この絵では道元禅師が椅子に坐禅をして坐っていますが、公案中ではここにブッダがいらっしゃったと思って下さい。(『建撕記図絵』より)


 さていよいよ道元禅師の説法の部分に入ってまいりました。
 
 禅師の問いかけは次のようになっています。

且く道(い)え、迦葉、当初、文殊を擯了(ひんりょう)すや、いまだ文殊を擯せざるや。もし文殊を擯了すと道わば、その神力を尽くせども、椎、挙すること能わず、また作麼生。もしいまだ文殊を擯せずと道わば、令を尽くして行ず、労して功無かるべからず。
 「労して功無かるべからず」の部分は『永平広録』原文は「不可労而無功也」となっています。私的にはこの読み下しには無理があるような気がします。「労而無功」という完結した節に「不可」を加える為に必要な、叙述品詞がないのです。それだったら「不可《道》労而無功也」(労して功無しというべからず)などの言い回しになっているような気がするのです。

 ところが「労而無功」という祖師の言葉がありますので、今禅師は、この古語を引いて「《労して功無し》なるべからず」といったのだと思います。今は意訳してしまいますので、ここまでこだわりません。

 そこで禅師の問いかけは、一応次のようなことを言っています。
 さあどういえばいいのだろう、迦葉はその時文殊をとが咎められたのだろうか、まだ文殊を咎められなかったのだろうか。
 もし「文殊を咎めた」というのなら、迦葉が尽力を尽くしたにもかかわらず椎を打つことができなかった、という点は、さてどういうことなのか。
 もし「まだ文殊を咎めていない」といったなら、仏の制令どおりに修行するということが無駄な行いになってしまう、そのようなはずはない。
 この古則はこんなにも重大な課題を込めていたのかと少々たじろいでしまいます。  そして道元禅師は、門下に、すぐさまこの古則の見方を教えるために呼びかけていらっしゃいます。  
大衆、須く知るべし
というのが、その第一声です。

 続けて、
迦葉、もし声聞・縁覚・初心・晩学、及び十聖・三賢等を擯せんと欲(おも)わば、迦葉、必定して椎を挙せん。今、百千万億の文殊を擯せんと欲わば、迦葉、挙ぐること能わざるの椎を用いん。

 「迦葉が声聞・縁覚・初心者などのものに対してならば法規どおりに椎を鳴らして擯斥しただろう。ここでは(それらを教条的・形式的なこととして軽んじた態度の)大乗の統領文殊菩薩がたくさんの分身を現したのに対し、《挙げない・打たない椎》という迦葉尊者の活作略をもって、その態度を咎めたのだ」と、趣意をとればこのような意味になります。

 「不能挙」(ふのうこ)……「挙ぐることあたわず」と訓読みされ、直訳すれば「挙げることができない」となりますが、中国の口語「白話体」では、日本語で「……できない」という時、2種類の表現の仕方があります。
 1つはここで用いられている「能」を使用して「不能……」という表現、2つには「会」という動詞を用いて「不会……」と表現する場合とです。

 「能」は白話(口語)では「機会的に……できない」を意味する能願動詞です。
「雨で出かけることができない」といった場合のように、それを実行する能力はあるけれども、何らかの状況や機会が得られなくてそれを行えない、という時に使用されます。

 一方の「会」はそれを行う能力的問題のときに使用されます。
 「泳ぐことができない」というような場合です。例えば祖録でおなじみの「汝会也無」(汝、会《え》すや、また無しや。「お前、理解できたか」)というときなどによく使用されているので、なじみのある方も多いかと思います。
 
 道元禅師は恐らくここで、「会」ではなく「能」が使用されていることから、これを状況上迦葉は椎を打たなかったのだと理解し、そこからさらに文意の読みかえを行っていています。道元禅師の常套手段です。
 
 禅師が経典・古則を拈提する場合、原文通りに示す場合と原意をこえて自由に拈提される場合があることが知られています。(鏡島元隆先生『道元禅師の引用経典と語録』木耳社。1965)そのとき、中国禅者が、上堂や偈頌、代語、別語で同様の趣旨を示している場合、それに応える形で行う場合や、まったく自己の思想信条から行う場合があります。

 ここでは元となる『大方広宝篋経』と異なり、圜悟・宏智の両位の尊宿が「両者が対等の立場にあったのに、迦葉尊者の詰めが甘かった」という評に道元禅師がどのように理解すればよいのか回答を与えたもの、と見ることができます。それどころではなく両者の読み方をこえて、迦葉尊者が文殊菩薩を擯斥したのだとする禅師の回答は、両者の見所の甘ささえ指摘するものであります。

 このように古則の話を自己の課題にひきかえ、祖師の考えを指標としながら、自分で理解を与えて行くという方法が、道元禅師の古則への参究の姿勢としてほかの個所にも随所に認められます。このことは、この小参冒頭の「先ず須く道心有るべし、次に須く慕古を具すべし、後は須く実を求むべし。」という表現に通じているのです。

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6 月の行事予定 2009

 6 月の行事予定です。
 広くご法友をお誘い合わせの上ご参加下さい。

今月の行事
参禅会6 月 9 日(火)午後7:00~9:00アショーカ王とインド・ギリシア文明の交流について講義
お袈裟を縫う会6 月 18 日(木)頃を予定決定しました午後2:00~5:00「律蔵:衣ケン度」講義

6 月の臨時行事
授衣作法(お受戒)6 月 2 日(火)午前 10:00~お絡子とお袈裟を縫い上げた方は、受戒し、菩薩の誓願を心に抱いて、日々の日送りを豊かにいたしましょう。

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道元禅師の言葉を読む (3)

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禅院での説法の様子。姿の見えているのは門下の人々で、このように立って聴きました。左手奥の階段を上がったところに、住持が結跏趺坐をして説法をします。この絵では隠れてしまっていて住持の姿は見えていません。かつては小参も、この形式で行われていました。(『建撕記図絵』より)


 私が以前に寄稿した原稿というのは、結局前回の部分を省略して概略だけを書いたのものでしたので、その部分を補足できた現時点で、連載の目的を果たしてしまいました。
 
 しかしそれでは最初にお断りした問いかけの答えが出ていません、これで終わりというわけにも行きませんので、今日も続けますと……
 
 この「文殊三処過夏」の公案は、すでに述べたように『大方広宝篋経』という経典が元になっています。

 『大正新脩大蔵経』の該当個所を見ますと難しい漢字が羅列しています。

 爾時世尊在舎衛国祇陀林中給孤窮精舎。夏坐三月。我時不見文殊師利。若如来前。若衆僧中。若於食時。若説戒日。若僧行次。都不見之。過三月已。臨自恣時乃見其面。我即問言。文殊師利。何処夏坐。即答我言。大徳迦葉。我住在是舎衛大城波斯匿王后宮一月。復一月住童子学堂。復一月住諸淫女舎。我聞是已。心甚不悦。即作是念。云何当共是不浄人而作自恣。我即出堂便撃犍槌欲擯文殊師利童子。
 爾時世尊。即告文殊師利童子。汝往看是摩訶迦葉。今者何故打犍槌也。白言。世尊。我已見之。欲擯於我。仏語文殊師利童子。今可現汝自在神力神通境界。令彼声聞心得清浄。勿於汝所生不浄心。於時文殊師利童子即入三昧。其三昧名現一切仏土。文殊師利入三昧時。十方各如恒河沙等諸仏世界。其中皆有摩訶迦葉。頭陀第一。悉打犍槌。于時世尊即問我言。摩訶迦葉。汝今何故打於犍槌。我言。世尊。文殊師利自説是言。夏三月中。住王后宮及淫女舎。為擯是故打於犍槌。
 爾時世尊身放光明遍照十方。而告我言。汝今遍観十方世界為見何事。我時遍観無量無辺恒河沙数十方世界。其中皆有摩訶迦葉而打犍槌。欲擯文殊。是一切処亦有文殊在仏前坐。仏告我言。汝今欲擯何処文殊為此世界為十方界。我時即礼仏世尊足作如是言。聴我悔過。世尊。是文殊師利法王之子。成就菩薩如是不可思議功徳。我従仏所成有量智。而欲度量無量智慧。以不知故而打犍槌。仏告我言。摩訶迦葉。汝之所見十方世界文殊師利。亦復夏三月。住王后宮及淫女舎。此間文殊師利童子。令是波斯匿王宮中五百女人。不退阿耨多羅三藐三菩提。
(大正蔵 14 巻、474 頁a)
 ということで、必要な部分だけ読み下しを上げておきましょう。
 その時、世尊は身より光明を放ち遍く十方を照らし給う、而して我に告げて言わく、「汝、今、遍く十方世界を観て何事を見ると為すや」と。我、時に、遍く無量無辺恒河沙数十方世界を観るに、その中に皆な摩訶迦葉有って、而して犍槌を打ちて文殊を擯せんと欲す、是の一切の処にも亦文殊有り、仏前に在って坐す。仏、我に告げて言わく、「汝、今、何処の文殊を擯せんと欲するや、為た此の世界なりや、為た十方界なりや」と。我、時に、即ち仏・世尊のみ足を礼して是の如き言を作す。「我が悔過を聴したまえ。世尊よ、是の文殊師利は法王子なり。菩薩の是くの如き不可思議の功徳を成就したまへり。我、仏処に従って有量の知を成ず、而して無量の智慧を度量せんと欲せり。知らざるを以ての故に犍槌を打たんとす」と。

 ここでは迦葉尊者が語りべとなっており、1人称の「我」は迦葉尊者です。

 迦葉尊者がブッダのもとで成就したのは有量の智慧だったのにも拘わらず、菩薩の無量の智慧を裁こうとしていた。

 ところがブッダ世尊は世界の真の姿を示され、迦葉尊者に見るように勧めます。

 「無量無辺恒河沙数」というほぼ無限にひとしい数の「十方世界」がそこには顕れていて、どの世界にもまた別の文殊菩薩と迦葉尊者がいらっしゃり、迦葉尊者はどの文殊菩薩が罪を犯したのか分かりません。犍槌を打つことができず、自身の智慧は少量で文殊の智慧の足元にも及んでいないことに気づき、この後、ブッダ・世尊に懺悔することを乞うことになります。

 このようにして、これ以下、文殊の功徳と大乗仏教の教えが説き明かされていく、というのがこの経典の演出です。

 この経典では単に文殊菩薩の優位性を説くだけではなく、両者はその境界さえも違っています。この点でお2人の禅師さまとは、また異なるものだったことが分かります。

 経典は当然、ここに大乗仏教と小乗仏教の差異と大乗仏教の優位性を記したいのです。そのため出演するのも小乗仏教の上足である摩訶迦葉と大乗仏教の首班である文殊菩薩となっており、両者の対決というシチュエーションになっています。そこを取り違えては面白くありません。
 
 というのは古い公案の注釈書中には、禅宗伝統上の初祖である摩訶迦葉が負けてしまってはいけないと、公案中に「迦葉尊者」としか出てこないことを好いことに、これを摩訶迦葉ではなく三迦葉のうちの1人だという説明を付したものがあるのです。この経典・公案がわざわざ東西の両横綱ともいうべき2大登場人物を配役にあてている意図を理解していないばかりでなく、経典ではハッキリ「摩訶迦葉」と出てくるのですからいただけません。
 
 では道元禅師はどう理解しているのでしょう。次回からは道元禅師のお言葉を見て行くことにします。
 
※ 現在では「小乗」という言葉は、大乗仏教の側からみた蔑称として、使用することは好ましからざるものとされています。大乗仏教中に内包する超克的対象としての小乗的側面である、こういう文面では「部派仏教」と換言してみたところで的がはずれているような気もしますし、ましてや今日現存する特定の地域の教団を指しているわけでもないので、小乗という言葉を使った方がしっくりとするような気がします。そこでこうした私たちの仏教が抱えてきた思想の一面を取り扱う場合、「小乗」という言葉を使用させていただきます。

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道元禅師の言葉を読む (2)

 前回に引き続いて『永平広録』におさめられた、道元禅師の「小参」という説法をみてゆきます。

 主題となる古則公案の部分以降を確認していこうと思います。

 世尊、昔、因に自恣の日、文殊、三処に過夏す。迦葉、文殊を擯出せんと欲し、纔かに椎に近けば、乃ち百千万億の文殊を見る。迦葉、その神力を尽くせども、椎、挙すること能わず。世尊、遂に迦葉に問う、汝、那箇の文殊をか擯せん。迦葉、無対。

【和訳】
 ブッダ世尊の昔、安居の最終日、修行の点検の日に、文殊菩薩が(律に抵触する)三つの場所で安居していた(ことが分かった)。 このとき迦葉尊者は、擯出羯磨(ひんずい/ひんしゅつ こんま)を行い文殊をサンガより除免しようと、やおら犍椎(けんち) に近づけば、たちまち百千万億の文殊が現れた。迦葉は、神力をあれこれ用いたけれども犍椎を打つことができない。世尊はここで迦葉に問うた、「お前さん、どの文殊を追い出そうというのかね」と。迦葉は答えることができない。
 文字通り翻訳すればこのような意味になります。

One Point!
  • 「安居」(あんご) というの、は雨期の三ヶ月間、外を出歩いて昆虫などの小動物を踏みつけて生命を害さないように、比丘(僧侶)たちは一つの精舎に集まって、屋外に出ないようにして生活をします。寺院とはそのためのものでもありました。禅宗系のお寺では、今でも安居を行うことがあります。厳密に一歩も外へ出ないでということは、現代社会にあってできないことではありますが……。
  • 「自恣」(じし)というのは、律蔵に決められている規則で、安居が終わる時に、たりいたり疑いがあることについてお互い指摘しあい、安居中の修行のあり方を点検することです。今、文殊菩薩はこの作法によって疑いをかけられたのです。懺悔や布薩と混同しているような解説もありますが、別の羯磨(作法)です。曹洞宗系では「布薩」(ふさつ)という儀式に取って代わられているようであまり行われなかったようですが、臨済宗では今でも行っているようです。
  • 「擯出羯磨」 というのは、戒律に違犯したかどうかを行う裁判のような制度が本来仏教々団にはあり、ここではこの共同体からの除籍の法廷に発展してしまいました。
  • 「犍椎」……サンスクリットで ga.n.taa 「けんち・かんち」などと発音される。儀式の際に打ち鳴らして注意を喚起するもの。中国宋代では特に木槌(こづち)状のものとなり、「槌」(つい)ともいわれる。

文殊菩薩
090519_manjusri  ブッダが最高裁判官で鎮座しており、お弟子の代表格である迦葉尊者が裁判官と検察を兼ねた役というのでしょうか、罪状を認定するお役として、刑を言い渡すハンマーを握っています。文殊菩薩はそんな迦葉尊者をあざ笑うかのように、神通力を駆使して百千億もの数の分身をあらわしたというのです。迦葉尊者はどの文殊菩薩にハンマーを打ち鳴らして刑を言いわたしていいのか分からなくなって、何も言えなくなってしまう。

 表面的に見れば、そんな意味になるのかと思います。

 ところが各お祖師様の意見をうかがうと、少し見方が違うようなのです。

 それでは、この公案はどのように理解されてきたのでしょうか。次にそのことを見て行きたいと思います。

 前にも申し上げましたが、道元禅師は『正法眼蔵』でもこの公案を取り上げ――中国宋代のお祖師様である圜悟克勤禅師の「拈古」……評、と「頌」……漢詩で感想を述べられたもの――これらを併記されています。また今『永平広録』が直接引用してきた『宏智録』では、道元禅師が尊敬したお祖師様である宏智正覚禅師の「拈古」が付されています。

 このお二方のものを見てゆくことが、近道かと思います。

 ただ道元禅師は、おそらくこの拈・頌古を、『正法眼蔵』の中では原文どおりに読んでいないと思われます。それは道元禅師の門下の方々の注釈書で推測できます。ここではひとまず文章どおりに読んでおきました。

①圜悟克勤禅師・拈古(大正蔵 47 巻、792 頁a)

鐘不撃不響。鼓不打不鳴。 鐘撃たざれば響かず、鼓打たざれば鳴らず
迦葉既把断要津。文殊乃十方坐断。 迦葉既に要津を把断し、文殊乃ち十方に坐断す
当時好一場仏事。可惜放過一著。 当時、好一場の仏事。惜しむ可し、一著を放過することを
待釈迦老子道欲擯那箇文殊。便与撃一槌看。 釈迦老師の「那箇文殊を擯せんと欲す」と道うを待って、便ち撃一槌を与えて看ん。
他作麼生合殺。 他、作麼生か合殺せん

【和訳】
 鐘は撃たなかったら響かない、太鼓だって打たなかったら鳴らないだろう。
 (さて)迦葉はすでにブッダの代理人の立場、肝心要の鍵は彼が握っており、一方で文殊菩薩は十方世界を足下に組みしく実力の持ち主。その時、仏道上でも滅多にない絶好の見せ場。惜しいことに、一手を指し損ねてしまった。
 最高裁判官の釈迦老師が「どの文殊を追い出そうというのかね」の最後の一言をいうのを待って、その時めがけて、ハンマーをカンッと1つ打ち鳴らしてみれば好かったのに。
 彼(=釈迦牟尼仏)はどのように始末をつけただろうか。

 圜悟さんの笑い声が聞こえるようです。

One Point!
  • 「合殺」(かっさつ) というのは、梵唄(現在では「声明」《しょうみょう》といわれることが普通になった。いわゆる仏教音楽)で返音(へんのん・転調)やユニゾンで唱えられる『理趣経』の最後に付される段で知られていますが、漢籍の中では、合奏で複数の音が同時に鳴って、終わりを結ぶときに使用され、「楽曲の終わり」という意味に用いられます。ところで「皆殺し」という恐ろしい訳を見たことがあります。原義を尋ねれば、おそらくお互いを相殺する状況の語から派生したと推測されますが、「ありがとう」の原義が「有り難い」ことであっても、感謝の意を表する言葉であるように、辞書的には「(曲の)終わり」の意味でしかありません。ここでは「帳尻を合わせること」程度に理解しました。
  • 「坐断」 は、足の下に押さえ込むことです。
  • 「他」 は、シャカムニ・ブッダと理解しました。しかし宏智さんの理解では、ここでブッダがどういう行動に出るかは圜悟さんは分かっていた、と読めますので、「文殊菩薩がどういう風につじつまを合わせようとするのか。できまいぞ」の意味で、文殊菩薩説も捨てがたいところです。ただおそらく成立しないと思われます。
②圜悟克勤禅師・頌古(同、805 頁a)
大象不遊兔径。燕雀安知鴻鵠。 大象、兔径に遊ばず、燕雀いずくんぞ鴻鵠を知らん
拠令宛若成風。破的渾如齧鏃。 令に拠らば、あたかも風を成すがごとく、的を破すれば、すべてやじりをかむが如し
遍界是文殊。遍界是迦葉。 遍界是れ文殊、遍界是れ迦葉
相対各儼然。 相い対しておのおの儼然
挙槌何処罰好一箚。金色頭陀曽落節 挙槌、いずれの処をか罰せん、好一箚。金色の頭陀、曽て落節す

【和訳】
 大象は兔が通る道は通らないし、ツバメや雀がどうして大鳥(鴻鵠)の境界を知り得よう。
 法令が下されば、あたかも風が起こったように何の計らいもなくそれを執行する(迦葉と)、的中する矢も、見事口先で受け止めてしまう技量(の文殊と)。
 全世界がこれ文殊、全世界がこれ迦葉。両者は相対して動かず。
 裁定のハンマーを打ち鳴らそうにも、どこに向けて罰したらいいのか、それを挫いた文殊の見事な一手。金色の頭陀と讃えられた迦葉でさえ、そのときゲームを落としてしまった。

One Point!
  • 「箚」 というのは、龍樹と提婆の公案「針箚不入」のとおり、ここでは針などを「刺す」ことです。間隙をつくようなニュアンスです。
  • 「金色の頭陀」(こんじきのずだ) というのは摩訶迦葉尊者のこと。
 『正法眼蔵』では「頌」の最後の「曽落節」が「曽落却」になっています。これは道元禅師が使用した『圜悟録』が宋版で原稿本とは違うためと予想されます。今はこの部分の研究を進められている方もいらっしゃいますが、ここでは『大正新脩大蔵経』に従っておきます。「節」は難しいことは言わずにそのままに、「この時節」を落としてしまったの意味としておきます。

 この拈古・頌古部の出典までとりあげるとキリがなくなるので差し控えておきます。

 圜悟さんの①では迦葉尊者はブッダの制令を厳粛に執行する代理人であり、文殊は十方を足下に組みしく力量の持ち主、がっぷり四つに組んであい動じず。最終的に迦葉尊者は一手を差し違え損ねた、文殊菩薩を寄り切るチャンスがあったのに、と踏んでいます。

 圜悟さんの②では世界そのものが迦葉尊者であり、同様に世界そのものが文殊であり、境界は同等。しかしながら最終的に迦葉尊者が試合を落としたのだ、との見解を示してほぼ同趣旨の内容と判断できます 。

 ではどこで一手を指し損ね取りこぼしたのでしょうか。宏智さんの拈古が、圜悟さんの拈古・頌古を汲んで分かるようしてくれています。

③宏智正覚・拈古(大正蔵 48 巻、27 頁c)

金色頭陀。有心無胆。 金色の頭陀、心有って胆無し
当時尽令而行。莫道百千万億文殊。 当時、令を尽くして行ず、道うことなかれ、百千万億の文殊
祇這黄面瞿曇。也与擯出。 祇だ這の黄面の瞿曇また与に擯出す
若能如是。不唯壁立真風。若し能く是くの如くならば、唯真風を壁立するのみにあらず
亦令後人知我衲僧門下。著儞閑仏祖不得。 また後人をして我が衲僧門下、儞の閑仏祖を著し得ざることを知らしめん

ブッダから以心伝心して仏心印を伝えたといっても、結局迦葉には肝心カナメの肝が、度胸がなかったのだ。
と始まります。

 面白いですよね、禅宗は仏心宗といわれ、以心伝心をして迦葉尊者が相承したというのをうけて「心有って」と唱っておき、今この公案の内容を示すのに対語になるように「肝無し」とあてがう。宏智さんの詩才文才が光っています。

あんたは法令をきちんと執行しているんだから、文殊の百千万億の分身を見たからって何言ってんのよ!
と続きます。さて、
そのとき仏制のとおり勇気を出して有罪の判決を下していれば、黙っていても金色の聖人面したゴータマが、お前に変わって追放してくれていた。
と押さえどころの説明に入ります。

 なるほど。圜悟さんが「ブッダ・釈迦老師がなんと言おうとどこ吹く風と、そよ風が吹くように迦葉尊者は法令どおりに有罪の判決を下してハンマーを打ってしまえばいい」といっているとおり、金ピカになって聖人をよそおっている最高裁判官ブッダは、判決どおりに文殊を追い出さざる得ないのだ、というのが宏智さんの見立てです。

 続く宏智さんの言葉が、分かる人には分かるのでしょうけれど、

もしそうなっていたら一段の真風などと気取った文殊に(『宏智録』巻2、頌古第1則)一泡吹かせ、お前が祖師の袈裟をまとった暇人なだけだ、と化けの皮をはがせたのに。

 『宏智録』には日本で板行された9巻本の第2巻に「宏智頌古」 100 則がまとめられています。これは単行本としても流布しましたが、ここで文殊とブッダの法の有り様を「一段の真風」と形容している頌古があります。それが「宏智頌古」の第1則です。
 宏智さん自身が文殊菩薩をそのように形容したので、なんだか我田引水で気になるところですが、とにかくそのような格好ばかりつけたがる文殊が聖者風を吹かしたところで、それを遮ってさえやれば、化けの皮がはがれるよ、と言っているのです。(まぁ、それで叢林に、奴の正体をさらしてやれ、とまでいっています。coldsweats01 禅僧は口が悪いのですが《禅はニヒリズムの系統なので、そのことにも起因していますが》、宏智さんのそれは圜悟さんを上回ります。)

 この頌古を踏まえていることが分かると、一段と面白くなります。

 さて、この圜悟さんと宏智さんの2人の禅師さまは、いずれも迦葉尊者と文殊菩薩の素養を同等と認めています。この時点で、すでに私の手元にある書物や店頭で見かけた何冊かの『永平広録』の説明とは食い違っています。

 そしてその上で、最終的に文殊菩薩の優位、迦葉尊者の劣位を示した公案であると解釈しています。それはこの古則の出所である『大方広宝篋経』でも確認できます。

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道元禅師の言葉を読む (1)

 堂頭のブログは、檀信徒や参禅会、お寺で仏教の教えに触れたいという信心厚い方々への行事予定連絡用として、毎月の行事予定を載せています。

 でも、時間のある時に、ちょっと俯瞰してみましたら何か寂しい。コメントなどが少ないのもそうですが、毎月の行事予定が載るだけですから、そりゃ寂しいに決まっています。

摩訶迦葉尊者(『仏祖源流影讃』写本より)
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 という訳で、たまにはまともな記事みたいな物を書いてみよう、と思っていました。

 少し以前に神奈川県のお寺さんの会報に載せていただいた原稿があります。細かな部分は端折ったので、その部分を説明していただけたら有難い、という意見があったので丁度良い、原稿のその部分をここで再説してみようかと思います。

 その原稿は、以前に堂頭が上梓した本(非売品)についてのものでした。

 全体はテクストの選定についての私論や、その本の正誤表を含めたものですが、ここではその中から「道元禅師の言葉の読み方について」の項だけを取り扱いたいと思います。

 現在道元禅師関係の出版物が山のように出ているのですが、私でも存じ上げている研究者の方や専門家のものの論述はほとんど採用されることがなく、一体どういう人なんだろうと思われる方のものもあります。内容を理解してないらしく意味をなしていない和訳が並べられている物もあります。

 では一体どう読まれた方がよいのか。

 例えば、古いお祖師さま方の提唱も残っており、今日、書肆の店頭に並んでいる出版物にも載っているものとして、『永平広録』巻八・小参の「文殊三処過夏」の話を取り上げました。

 上堂や小参についての説明は省くとして。まずは本文。

 解夏小参云。九旬無為、一衆安穏。雖為仏祖之護持、宛是大衆之慶幸也。永平今夜依例小参。言小参者、家訓也。家訓雖多、是挙一二。謂、先代仏祖、皆是道心士也。若無道心、万行虚設也。然則参学雲水、先須発菩提心也。発菩提心者、乃度衆生心也。先須有道心。次須具慕古。後須求実。此是三種、即初心晩学之所学也。永平家訓、只是如斯。記得。世尊昔因自恣日、文殊三処過夏。迦葉欲擯出文殊、纔近椎、乃見百千万億文殊。迦葉尽其神力、椎不能挙。世尊遂問迦葉、汝擯那箇文殊。迦葉無対。大衆、要参究這一段因縁麼。先直須深信、安居過夏、仏祖家裏一大事因縁也。不可容易矣。且道、迦葉当初擯了文殊、未擯文殊。若道擯了文殊、尽其神力椎不能挙、又作麼生。若道未擯文殊、尽令而行、不可労而無功也。大衆須知、迦葉若欲擯声聞縁覚初心晩学、及十聖三賢等、迦葉必定挙椎也。今欲擯百千万億文殊、迦葉用不能挙之椎也。為甚如斯。不見道、千鈞之弩不為鼷鼠而発、万斛之船豈於牛轍而行也。雖然如是、不渉這箇辺事、還有向上道処麼。良久云、太平王業治無像。野老家風似至淳。祗管村歌及社飲。争知舜徳及尭仁。大衆久立、伏惟珍重。

【読み下し文】 解夏(かいげ)の小参に云く、九旬無為、一衆安穏。仏祖の護持たりといえども、あたかも是れ大衆の慶幸なり。永平、今夜、例に依って小参す。小参と言うは家訓なり。家訓多しといえども、これ一二を挙す。謂く、先代の仏祖は、みな是れ道心の士なり。もし道心無ければ万行虚設なり。然れば則ち参学の雲水、先ず須く菩提心を発すべし。発菩提心というは乃ち度衆生心なり。先ず須く道心有るべし、次に須く慕古を具すべし、後に須く実を求むべし。これこの三種、即ち初心晩学の所学なり。永平が家訓、ただ是れかくの如し。
 記得たり、世尊、昔、因に自恣の日、文殊、三処に過夏す。迦葉、文殊を擯出せんと欲し、纔かに椎に近けば、乃ち百千万億の文殊を見る。迦葉、その神力を尽くせども、椎、挙すること能わず。世尊、遂に迦葉に問う、汝、那箇の文殊をか擯せん。迦葉、無対。
 大衆、這の一段の因縁を参究せんと要すや。先ず直に須く深く信ずべし、安居過夏は仏祖家裡の一大事因縁なることを。容易にすべからず。且く道え、迦葉、当初、文殊を擯了すや、いまだ文殊を擯せざるや。もし文殊を擯了すと道わば、その神力を尽くせども、椎、挙すること能わず、また作麼生。もしいまだ文殊を擯せずと道わば、令を尽くして行ず、労して功無かるべからず。大衆、須く知るべし、迦葉、もし声聞・縁覚・初心・晩学、及び十聖・三賢等を擯せんと欲わば、迦葉、必定して椎を挙せん。今、百千万億の文殊を擯せんと欲わば、迦葉、挙すること能わざる椎を用いん。甚と為てかかくの如くなる。道うこと見ずや、千鈞の弩は鼷鼠の為に発せず、万斛の船、豈に牛轍に於いて行かんや。然もかくの如くといえども、這箇辺の事に渉らず、還って向上の道処有るや。良久して曰く、太平の王業、治に象無し。野老の家風、至淳なるに似たり。祗管に村歌、并びに社飲。争か知らん、舜徳、及び尭仁。大衆久立、伏して惟れば珍重。
 この中の「記得たり」以下、迦葉尊者の「無対」までが、引用された公案です。

 この公案は、ほかに『正法眼蔵』「安居」巻にも圜悟克勤禅師(えんごこくごん 1063|1135)の拈古・頌古とともに載せられています。その大本は『大方広宝篋経』の中のお話です。これについても後で少し触れたいと思います。

 さて『正法眼蔵』で道元禅師が引用するこの公案は、『圜悟録』巻十九のものにほぼ準じた物となっています。一方では『永平広録』では門鶴本(古くは長護本と呼ばれ、最近は祖山本との名称を使用する方もいらっしゃります。私は写本名を寺院名をもって冠するならば、はっきりと永平寺本とした方がよいと思っています。)も江戸時代に唯一木版で板行された卍山本(流布本)も、ともに宏智正覚禅師(わんししょうがく 1091|1157)『宏智録』巻二・拈古一が一字違いの同文です。したがって『永平広録』中のこの文は、出典が『宏智録』ということになるだろうと思います。

 こうした出典研究は、お亡くなりになられた鏡島元隆先生が、師の衛藤即応先生から叱咤(激励ではなく)されながら進められたという、有名なエピソードがあります。そして先生は、道元禅師思想研究には思想・歴史・書誌学の3つの側面から研究されなければならないと唱えられ、思想解明に不可分のものと成果を上げられた分野でした。

 道元禅師の引用された文献、という出典研究はひとえに鏡島先生の恩恵を被るところが大きく、そのことに触れられていない出版物も多いのは致し方ありませんが、1つの書籍内で、他の個所では出典を明記していても、この部分では明記されていないというものもあり、どうもこうした論文や原典を見ないで執筆している姿勢が見えてきて、気になってしまうのです。

 問題となるのは、この解釈です。
 文殊菩薩の大人の境界を迦葉尊者が仏制をもってしてもとが咎めることができなかった、と理解しているものがいくつかあります。その理解は正しいのでしょうか。

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5 月の行事予定 2009

 5 月の行事予定です。
 広くご法友をお誘い合わせの上ご参加下さい。

今月の行事
参禅会5 月 12 日(火)午後7:00~9:00アショーカ王とインド・ギリシア文明の交流について講義
お袈裟を縫う会5 月 28 日(木)午後2:00~5:00「律蔵:衣ケン度」講義

6 月の臨時行事
授衣作法(お受戒)6 月 2 日(火)午前 10:00~お絡子とお袈裟を縫い上げた方は、受戒し、菩薩の誓願を心に抱いて、日々の日送りを豊かにいたしましょう。

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絵本を送るボランティア 2009

090425_03
 ボランティア団体 SVA (シャンティ国際ボランティア会)「絵本を送る運動」に、また参加したいとの声がありましたが、なかなか多忙につき企画できずにいました。

090425_01 今年こそはと思い、去る 4 月 25 日(土)に晴れて「絵本作り」を行うことができました。今回はカンボジア向けの絵本です。

 SVA さんから絵本セットを取り寄せる都合もあるので、予約申し込み制だったのですが、なぜかこうした事情を斟酌してくれないで、当日いきなりの参加者が何人かありました。

 結局実際に作業に携わっていただいた方は 15 名に登りました。予備分があったからよかったのですが、冷や冷や物のてんてこ舞いです。なんにせよ大勢の方に参加いただくことは良いことなので、結果オーライです。

 徐々に皆さん慣れてきて、結構高度な技法を駆使し始めた方もいます。

私は手先も器用だし、作業は完璧だ。私の本を手にした子供はキット大いに喜ぶに違いない!
と豪語する御仁があらわれました。ちなみにお仕事は会計士さんです。

 今までは初級者用をお願いしていましたが、これからは中級者向けの物を送ってもらって担当しても良さそうです。

090425_02 こうして作られた本は、来春、教育が行き届かないアジア各地の国々に配布され、あるときは識字教育の一環として、あるときは情操教育として、あるときは文字通り教科書がわりに使用されることとなります。

 興味のある方は SVA さんのモニタリングツアーなどに参加されるとよいかも知れません。一応ご案内はしておきました。

 この調子で、継続行事として続けられるように努力していきたいと思います。

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